2007年4月18日水曜日

就寝時間が早いためか、朝方の看護師さんによる定期巡回で目が覚めてしまうのかは定かではないが入院後とにかく目覚める時間が早くなった。
退院の朝、いつもどおりに目が覚めていつもどおりに体重測定、散歩
窓から見える山並は春霞がかかって、いつもと何一つ変わらない。
明日からは、この景色をみることもないし、病院のベッドではなく自分のベッドで目覚める。
目覚めて真っ先に見えるのは病室の壁や天井ではなく、息子や妻の姿。
体の調子が良くなり、精神的に安定してから家族から聞いた入院当初の自分の状況。
本当に生きて退院できて良かったと思う。

昨日、腹腔鏡検査時の切開跡を抜糸した。
とにかく腕のよい先生で、痛みもなく処置そのものもすばやい。
抜糸を終えて先生から、
「お疲れ様、これで全部終りですよ」
「長かったねぇ」
と声をかけられた。
入院は一ヶ月半余りだが、先生にも私自身にもハードで濃い期間だったと思う。
本当、長かった。
明日からは自分の意思をより強くもっての闘いが始まる。


血液検査の値はゆっくりであるが改善方向にあった。
忘れたころにやってくるCTとレントゲン撮影。
レントゲンでは肺炎が良くなっている結果がでて、抗生物質の点滴が中止された。
同時に咳止めの薬も中止され、身体的にも気分的にも少し身軽になる。
CTの結果も悪い方向ではなく、といっても肝臓の腫れは相変わらずあったが
もっとも心配されていた萎縮=肝硬変の傾向もなく、経過は順調との説明があった。
服用薬や点滴が減るというのは体が楽になるだけでなく、精神的な効果が大きいと思う。
快方に向かっているという希望を持つことで病気に向かい合う気持ちもできてくる。
点滴や薬が多かったころは何をするのも嫌だった。
体を起こすことも、景色をみることも、なにもかも嫌。
唯一、看病してくれていた妻との会話だけが楽しみだった。
今考えてもかなり後ろ向きであった、治るものも治らないであろう。

2007年4月17日火曜日

退院

唐突にやってきた。
週末あたりから自分でも体の調子がよくなってきたと思った。
腹腔鏡検査で採取した肝細胞の検査結果はまだでていないものの
血液検査の数値は通院レベルになってきているので
明日、退院しましょうということになった。
GOTは30までに下がっており、十分標準値になっている。
残念ながらGPTがまだ高いということで、これは通院しながら様子をみることになった。
緊急入院時にはGOT、GPTが4600~4800という数値からみれば驚くような回復。
数日前に看護師さんが言っていたけれども、劇症肝炎の患者さんは何人か見たけれど
これほど数値が高かった人は初めてだったと
自分でもいろいろ調べてはみたけれど、あの数値で、PTが20というと高確率で
致死のようで・・・今考えても奇跡としかいいようがない。

さて、一般的な病気だと退院でひとまず闘病生活にピリオドとなるけれど
残念ながら、自分の場合はピリオドにはならないし、通過点にもならないというのが
正直なところ。

B型ウィルスによる劇症肝炎であったため、感染したB型ウィルスが完全に活動を止めるまで
肝炎発病のリスクと闘うことになる。
3ヶ月ほど前に発表されたというB型ウィルスを強力に抑制する新薬を服用しているけれども
劇的な効果があるわけではない。
医者のレベルから見て抑制が完了したと判断されるまでは、通院はもちろんのこと
体の変化に注意しながら、肝臓に負担をかけない日常生活を送ることになる。
仕事なんかをしているとなかなかそうもいかないのが現実だけれど
そこをコントロールしながらの日常生活を見出すことになる。
私にとっての退院は、パジャマを着て病院のベッドと病室がマイルームという生活が
なくなることであって、決して治癒ではない。


肝不全から脱した後、定期的な血液検査と毎日の点滴が繰り返されていた。
ウィルス量、GPT,GOTともに下がり方が緩やかになって、500~400をうろうろする状態。
ときおり、300まで下がることがあっても、毎日のように続く発熱が
正常な体とはほど遠いことを物語る。
とにかく、毎日これといってすることがない。
肝臓の治療とはこういうものだと聞かされているが、院内散歩も1週間もすると飽きてしまう。
体を動かすことだけはしておかないと、後で困るからとよほど熱が上がらないかぎり
毎日少しずつでも散歩はした。
が、他にすることがない。
入院が果てしなく続くような気がしていた時期であった。
まさに、退屈との闘い。
時折調子にのって、2時間近くも院内を歩き回ったりもしたが大抵当日の夜から8度以上の発熱で2~3日間は熱が下がらないことが続く。
正常な体ではないとわかっているけれども、退屈との勝負には負けることが多かった。

2007年4月14日土曜日

雨模様

昨夜来の雨、上がるといいんですが。。。
今日は当地、福井市でおおきなお祭りがあります。
ふくい春まつりといいまして、特に今日14日はメインイベントの
越前時代行列があります。
福井藩ゆかりの柴田勝家、お市の方に扮した行列が市街地をねりあるきます。
柴田勝家には毎年メジャーどころの俳優さんを招いての行事
一昨年は今芸能ニュースをにぎわせている往年の変身ヒーローのあの方。
ギャラリーにおびえた馬が暴れだすというハプニングを見事な手綱さばきでスマートにおさめた姿はまさにヒーローでした。
時代劇で有名な「ん代目将軍」がいらっしゃったときはメイン会場に入る前に馬をおりて、一般参加者に扮してこっそり。。。馬上は影武者だったというなんとも将軍らしい振る舞いで、観覧していた市民から大ブーイング(苦笑
タレント関係者さんいわく、パニックを避けるためとか・・・
それほど、タレントに飢えてはいないと思いますがね
ま、とにかく今年は沢村一樹さん
毎年花見をかねて行っているので、今年はすごく残念です。
あいにくの雨模様ですが午後からは曇り空になるとか、行列は13時ごろからですからちょうどいいかも。


< 劇症肝炎は今回お休みします >
闘病の一番つらい時期を振り返りながら書いています。
いろいろ考えがあってすべてを詳細に書いているわけではないのですが
やはり、ちょっとつらい時期を思い出してしまって若干後ろ向きな状態になりそうなので
今日明日あたりお休みして気持ちの整理をします。
ごめんなさい。

2007年4月13日金曜日

お天気は下り坂

昨日までの春の陽気はどこへいったの?
って感じの空模様。
風も出ているようで、病院最上階の8階にいると
風切り音がすごい。
まさにうなり声
病院から300mほどのところに送電鉄塔が見える
高さはこの部屋と同じぐらい
送電線がかなり振られているから、相当風が強いのがわかる。

今朝の定期回診で
血液検査の結果が思ったように改善されていないとのお話があった。
GOTが100をきらない
他の数値は正常とはいえないものの通院レベルで問題ないくらいまでさがっているのに
まだ肝炎がくすぶっている感じ。
数日前は、17日に抜糸してその日か18日に退院という状況が
今朝は、このあたりかなぁという幅をもたせた退院予定になってる。
まるで今日の空模様。。。


肺感染で、首のカテーテルが抜けて気持ちも体もいくらか楽になったように思えたが
実際には肺炎になるならない(実際には肺炎になっていた)の状態で
発熱と咳が止まらず、つらい日が続いた。
抗生剤の投与もかなりの量が続けられていた。
肺炎状の症状以外に、苦しんだのはステロイド剤の中止によるリバウンド。
ひどい頭痛に悩まされる日が続いた。
時折、自分は何の病気なんだろうと考え込んでしまったり
とにかく気持ちが前に向かない状態であった。
日数を数える気持ちすら持てなくなったころ、先生からお話があった。
「血液検査とCTの状況からみて肝不全の状態は脱したといえます。」
うれしかった。
と、同時にこれまで自分では良くなったと思ってた体が実はまで肝不全の状態であったことを知って幾分背筋が寒くなった。
「今は、急性肝炎で運び込まれた患者さんレベルです」
と現状の説明があった。
体はずいぶん楽になったと思っていたのは相対的なレベルであって
黄疸もGOTもGPTもまだまだ異常値。
GOT、GPTはこの時点で500から600、黄疸もようやく一桁が見えてきた状態で
いわれてみれば体のあちらこちらが黄色い。
命の危険性が低くなったという喜びと、闘病が果てしなく続くような絶望感が入り混じった日であった。

2007年4月12日木曜日

春霞

山の端が霞がかって見えます。
今日も一日いいお天気のようで、ニュースでは桜の名所が満開の知らせ。
残念ながら今年の桜は見ることができませんでしたね。
順調に退院できれば、標高の高いところまで行ってあるいは、とも思いますが
体力的にそこまで運転していけるとは思えません。
今年は画像だけでがまんしましょう。

縫合部の痛みは相対的に昨日よりましになりましたが
絶対的なレベルではまだまだ尋常ならざる痛みとしかいえません。
今日の夜までは抗生剤の点滴があります。
発熱が続けば明日もということになりそうですが、多分大丈夫。
明日はこの痛みもマシになっていてほしいものです。

<前回からのつづき>
流動食から三部粥になった時点で、咳がとまらない状態が続いていた。
むせたような咳ではないので、念のためにレントゲン撮影になった。
部屋に戻ってほどなく、先生が飛び込んできた。
「撮影のときってパジャマ着てた?」
「ボタンみせて・・・」
「違う、こんなんじゃない」
ひどくあわてた様子で、いろいろ確認が進む。
「実は、肺に10円玉ぐらいの丸い影がいっぱい写ってる」
妻とともに、スタッフルームに案内されてレントゲンの結果を見せてもらう。
撮影の数日前に、一度胸が苦しくなってレントゲンを撮った経緯があって
そのときの写真も比較に見せてもらう。
数日前は何もないのに、今回は肺のラインに沿うようにいくつもの丸い影がある。
「すぐに肺のCTをとりましょう」
入院中、主治医の先生のほかにもう一人研修後期の先生がついてくださっていた。
妻、看護師さん、先生二人、顔面蒼白で点滴をさげて車椅子にのる私がエレベータに乗った。
同じフロアから、見舞いのご婦人も乗ったのだが、
私たちのものものしさに、なんとなく伏目になりつつも様子をうかがうようだったと後に妻に聞いた。
かなり深刻な印象はあったと思う。
CTでも、やはり影がくっきり。
呼吸器科の先生も加わって、治療方針の策定が行われた。
なんらかの感染で肺炎になりつつあるとの結論に達して、感染源は極力取り除くことになった。
真っ先に首のカテーテルが抜かれることになった。
点滴の量も格段に減って、栄養は経口摂取がメインに切り替えられた。
食事内容のアップコンバージョンが続けられることになった。
肺の感染症治療のために、ステロイド剤を中止して(ステロイド剤の長期服用は感染症の原因になり得るため)点滴による抗生剤投与に切り替えられた。
この抗生剤の点滴、量が半端ではなかった。
肝不全の状態から完全に脱している状況ではなく、この時期は肝機能障害と感染症との闘いになった。
連日の発熱、身の置き所がない倦怠感、食欲不振、咳。
治療を受けているという実感がわかないぐらい体が痛めつけられていた。

2007年4月11日水曜日

一夜明けて

昨日は腹腔鏡下肝生検
腹部に針を刺してガスを入れる(個人差もあるらしいけれど3~4リットル)
内視鏡を挿入するためにおへそ周辺を小切開してチューブを挿入(トロッカーというらしい)
内視鏡で肝臓の様子を観察して、数枚の写真撮影
肝臓の組織を採取するための管をおへその右下あたりから挿入してちょっと採る
内視鏡で出血がないかを確認して内視鏡を抜いて穴ぼこを縫合

とまぁこんな手順で検査そのものは20分ぐらい。
検査前に点滴や注射、消毒などの事前処置があるので病室を出て戻るまでおおよそ1時間
麻酔注射が痛いと聞いていたけれど、それほどでもなく
針を差し込むときの鈍痛のほうがつらかったな。

検査日の夜から麻酔が切れて縫合部がとにかく痛い
ほとん眠れないまま朝を向かえ、こうしてブログを更新している間も
鈍痛と刺激が強めの激痛の繰り返し。
食欲もわかないし、案外大変な検査。

一般病棟へ移ってから、点滴と定期的に行われる採血が延々と続く。
もしかしてこのまま出ることはできないんじゃないか?とまで思ってしまう。
入院後の絶食も12日目を超えるあたりから、寝るたびに食べ物の夢を見るようになった。
見舞いにくる身内がとにかく食べ物のことばかりを大声で話していたのも影響していたと思う。
そろそろ絶食に対する精神的な限界かと思ったころに、主治医から胃カメラの検査を告げられる。
ステロイド剤を大量に投与されていたので、食道や胃への影響がないかを確かめて経口による栄養摂取に切り替えるという方針説明があった。
週明けに胃カメラを飲み、異常がなかったことから当日の昼食から流動食300ccの食事が始まった。
流動食といっても、要するに液体。
おかゆの上澄み上のもの、コーンスープを更に裏ごししたもの、野菜ジュース
久々の食事の感想は、うまかった。 この一言。

2007年4月10日火曜日

腹腔鏡

今日は午後から腹腔鏡検査があります。
局所麻酔をした上で、お腹に針と内視鏡を入れて
肝臓の組織採取と肝臓を内視鏡で観察するという検査です。
怖がりな私は、昨夜からあまり眠れず朝を迎えました。
麻酔がかかってしまうと痛みはないという先生の言葉は理解できていますが
手術室で行うということでかなりびびってます。
検査から明日朝までは安静になってしまうので午後から半日は
ある意味ICUを出たころに逆戻りです(動けないということはICUにいたころかな)

今日も春めいたいい天気のようですが
精神的な余裕がありません。。。


個室に移ってから、少しずつ体が思ったように動くようになってきた。
それでも、ほんの数分(2分くらいか)も立っているとふらついてしまう状態は改善できないまま。
やはり体を横たえている時間が長い。
せいぜいベッドを起こして座っている状態。
目線の先には首のカテーテルにつながっている点滴が4本、
ちょっと動くにも管が絡んで邪魔をする。
首を振ることさえ億劫な日が続いていた。
加えて血中酸素量が十分でないとのことで鼻には酸素用のチューブ。
思うように動けないことと、点滴のチューブ類、この状態が永久に続くんじゃないだろうか
などとありえない不安感。
見舞いに駆けつけてくれた方々の何気ない一言がふと自分を落ち込ませてしまう。
元気付けようとの配慮とは思うが、病室で大声ではしゃぐ縁者の行為が無神経に感じてしまう。
とうとう精神的な限界がきた。
だれにも会いたくない。 病院側に面会制限の申し出をして妻と実父、実母、息子以外
だれとも会わない状態にしてもらう。
ここからしばらく、起きたくもなく外の景色を見たいとも思わず
とにかく無気力な日が続くことになる。