2007年4月18日水曜日

就寝時間が早いためか、朝方の看護師さんによる定期巡回で目が覚めてしまうのかは定かではないが入院後とにかく目覚める時間が早くなった。
退院の朝、いつもどおりに目が覚めていつもどおりに体重測定、散歩
窓から見える山並は春霞がかかって、いつもと何一つ変わらない。
明日からは、この景色をみることもないし、病院のベッドではなく自分のベッドで目覚める。
目覚めて真っ先に見えるのは病室の壁や天井ではなく、息子や妻の姿。
体の調子が良くなり、精神的に安定してから家族から聞いた入院当初の自分の状況。
本当に生きて退院できて良かったと思う。

昨日、腹腔鏡検査時の切開跡を抜糸した。
とにかく腕のよい先生で、痛みもなく処置そのものもすばやい。
抜糸を終えて先生から、
「お疲れ様、これで全部終りですよ」
「長かったねぇ」
と声をかけられた。
入院は一ヶ月半余りだが、先生にも私自身にもハードで濃い期間だったと思う。
本当、長かった。
明日からは自分の意思をより強くもっての闘いが始まる。


血液検査の値はゆっくりであるが改善方向にあった。
忘れたころにやってくるCTとレントゲン撮影。
レントゲンでは肺炎が良くなっている結果がでて、抗生物質の点滴が中止された。
同時に咳止めの薬も中止され、身体的にも気分的にも少し身軽になる。
CTの結果も悪い方向ではなく、といっても肝臓の腫れは相変わらずあったが
もっとも心配されていた萎縮=肝硬変の傾向もなく、経過は順調との説明があった。
服用薬や点滴が減るというのは体が楽になるだけでなく、精神的な効果が大きいと思う。
快方に向かっているという希望を持つことで病気に向かい合う気持ちもできてくる。
点滴や薬が多かったころは何をするのも嫌だった。
体を起こすことも、景色をみることも、なにもかも嫌。
唯一、看病してくれていた妻との会話だけが楽しみだった。
今考えてもかなり後ろ向きであった、治るものも治らないであろう。

2007年4月17日火曜日

退院

唐突にやってきた。
週末あたりから自分でも体の調子がよくなってきたと思った。
腹腔鏡検査で採取した肝細胞の検査結果はまだでていないものの
血液検査の数値は通院レベルになってきているので
明日、退院しましょうということになった。
GOTは30までに下がっており、十分標準値になっている。
残念ながらGPTがまだ高いということで、これは通院しながら様子をみることになった。
緊急入院時にはGOT、GPTが4600~4800という数値からみれば驚くような回復。
数日前に看護師さんが言っていたけれども、劇症肝炎の患者さんは何人か見たけれど
これほど数値が高かった人は初めてだったと
自分でもいろいろ調べてはみたけれど、あの数値で、PTが20というと高確率で
致死のようで・・・今考えても奇跡としかいいようがない。

さて、一般的な病気だと退院でひとまず闘病生活にピリオドとなるけれど
残念ながら、自分の場合はピリオドにはならないし、通過点にもならないというのが
正直なところ。

B型ウィルスによる劇症肝炎であったため、感染したB型ウィルスが完全に活動を止めるまで
肝炎発病のリスクと闘うことになる。
3ヶ月ほど前に発表されたというB型ウィルスを強力に抑制する新薬を服用しているけれども
劇的な効果があるわけではない。
医者のレベルから見て抑制が完了したと判断されるまでは、通院はもちろんのこと
体の変化に注意しながら、肝臓に負担をかけない日常生活を送ることになる。
仕事なんかをしているとなかなかそうもいかないのが現実だけれど
そこをコントロールしながらの日常生活を見出すことになる。
私にとっての退院は、パジャマを着て病院のベッドと病室がマイルームという生活が
なくなることであって、決して治癒ではない。


肝不全から脱した後、定期的な血液検査と毎日の点滴が繰り返されていた。
ウィルス量、GPT,GOTともに下がり方が緩やかになって、500~400をうろうろする状態。
ときおり、300まで下がることがあっても、毎日のように続く発熱が
正常な体とはほど遠いことを物語る。
とにかく、毎日これといってすることがない。
肝臓の治療とはこういうものだと聞かされているが、院内散歩も1週間もすると飽きてしまう。
体を動かすことだけはしておかないと、後で困るからとよほど熱が上がらないかぎり
毎日少しずつでも散歩はした。
が、他にすることがない。
入院が果てしなく続くような気がしていた時期であった。
まさに、退屈との闘い。
時折調子にのって、2時間近くも院内を歩き回ったりもしたが大抵当日の夜から8度以上の発熱で2~3日間は熱が下がらないことが続く。
正常な体ではないとわかっているけれども、退屈との勝負には負けることが多かった。

2007年4月14日土曜日

雨模様

昨夜来の雨、上がるといいんですが。。。
今日は当地、福井市でおおきなお祭りがあります。
ふくい春まつりといいまして、特に今日14日はメインイベントの
越前時代行列があります。
福井藩ゆかりの柴田勝家、お市の方に扮した行列が市街地をねりあるきます。
柴田勝家には毎年メジャーどころの俳優さんを招いての行事
一昨年は今芸能ニュースをにぎわせている往年の変身ヒーローのあの方。
ギャラリーにおびえた馬が暴れだすというハプニングを見事な手綱さばきでスマートにおさめた姿はまさにヒーローでした。
時代劇で有名な「ん代目将軍」がいらっしゃったときはメイン会場に入る前に馬をおりて、一般参加者に扮してこっそり。。。馬上は影武者だったというなんとも将軍らしい振る舞いで、観覧していた市民から大ブーイング(苦笑
タレント関係者さんいわく、パニックを避けるためとか・・・
それほど、タレントに飢えてはいないと思いますがね
ま、とにかく今年は沢村一樹さん
毎年花見をかねて行っているので、今年はすごく残念です。
あいにくの雨模様ですが午後からは曇り空になるとか、行列は13時ごろからですからちょうどいいかも。


< 劇症肝炎は今回お休みします >
闘病の一番つらい時期を振り返りながら書いています。
いろいろ考えがあってすべてを詳細に書いているわけではないのですが
やはり、ちょっとつらい時期を思い出してしまって若干後ろ向きな状態になりそうなので
今日明日あたりお休みして気持ちの整理をします。
ごめんなさい。

2007年4月13日金曜日

お天気は下り坂

昨日までの春の陽気はどこへいったの?
って感じの空模様。
風も出ているようで、病院最上階の8階にいると
風切り音がすごい。
まさにうなり声
病院から300mほどのところに送電鉄塔が見える
高さはこの部屋と同じぐらい
送電線がかなり振られているから、相当風が強いのがわかる。

今朝の定期回診で
血液検査の結果が思ったように改善されていないとのお話があった。
GOTが100をきらない
他の数値は正常とはいえないものの通院レベルで問題ないくらいまでさがっているのに
まだ肝炎がくすぶっている感じ。
数日前は、17日に抜糸してその日か18日に退院という状況が
今朝は、このあたりかなぁという幅をもたせた退院予定になってる。
まるで今日の空模様。。。


肺感染で、首のカテーテルが抜けて気持ちも体もいくらか楽になったように思えたが
実際には肺炎になるならない(実際には肺炎になっていた)の状態で
発熱と咳が止まらず、つらい日が続いた。
抗生剤の投与もかなりの量が続けられていた。
肺炎状の症状以外に、苦しんだのはステロイド剤の中止によるリバウンド。
ひどい頭痛に悩まされる日が続いた。
時折、自分は何の病気なんだろうと考え込んでしまったり
とにかく気持ちが前に向かない状態であった。
日数を数える気持ちすら持てなくなったころ、先生からお話があった。
「血液検査とCTの状況からみて肝不全の状態は脱したといえます。」
うれしかった。
と、同時にこれまで自分では良くなったと思ってた体が実はまで肝不全の状態であったことを知って幾分背筋が寒くなった。
「今は、急性肝炎で運び込まれた患者さんレベルです」
と現状の説明があった。
体はずいぶん楽になったと思っていたのは相対的なレベルであって
黄疸もGOTもGPTもまだまだ異常値。
GOT、GPTはこの時点で500から600、黄疸もようやく一桁が見えてきた状態で
いわれてみれば体のあちらこちらが黄色い。
命の危険性が低くなったという喜びと、闘病が果てしなく続くような絶望感が入り混じった日であった。

2007年4月12日木曜日

春霞

山の端が霞がかって見えます。
今日も一日いいお天気のようで、ニュースでは桜の名所が満開の知らせ。
残念ながら今年の桜は見ることができませんでしたね。
順調に退院できれば、標高の高いところまで行ってあるいは、とも思いますが
体力的にそこまで運転していけるとは思えません。
今年は画像だけでがまんしましょう。

縫合部の痛みは相対的に昨日よりましになりましたが
絶対的なレベルではまだまだ尋常ならざる痛みとしかいえません。
今日の夜までは抗生剤の点滴があります。
発熱が続けば明日もということになりそうですが、多分大丈夫。
明日はこの痛みもマシになっていてほしいものです。

<前回からのつづき>
流動食から三部粥になった時点で、咳がとまらない状態が続いていた。
むせたような咳ではないので、念のためにレントゲン撮影になった。
部屋に戻ってほどなく、先生が飛び込んできた。
「撮影のときってパジャマ着てた?」
「ボタンみせて・・・」
「違う、こんなんじゃない」
ひどくあわてた様子で、いろいろ確認が進む。
「実は、肺に10円玉ぐらいの丸い影がいっぱい写ってる」
妻とともに、スタッフルームに案内されてレントゲンの結果を見せてもらう。
撮影の数日前に、一度胸が苦しくなってレントゲンを撮った経緯があって
そのときの写真も比較に見せてもらう。
数日前は何もないのに、今回は肺のラインに沿うようにいくつもの丸い影がある。
「すぐに肺のCTをとりましょう」
入院中、主治医の先生のほかにもう一人研修後期の先生がついてくださっていた。
妻、看護師さん、先生二人、顔面蒼白で点滴をさげて車椅子にのる私がエレベータに乗った。
同じフロアから、見舞いのご婦人も乗ったのだが、
私たちのものものしさに、なんとなく伏目になりつつも様子をうかがうようだったと後に妻に聞いた。
かなり深刻な印象はあったと思う。
CTでも、やはり影がくっきり。
呼吸器科の先生も加わって、治療方針の策定が行われた。
なんらかの感染で肺炎になりつつあるとの結論に達して、感染源は極力取り除くことになった。
真っ先に首のカテーテルが抜かれることになった。
点滴の量も格段に減って、栄養は経口摂取がメインに切り替えられた。
食事内容のアップコンバージョンが続けられることになった。
肺の感染症治療のために、ステロイド剤を中止して(ステロイド剤の長期服用は感染症の原因になり得るため)点滴による抗生剤投与に切り替えられた。
この抗生剤の点滴、量が半端ではなかった。
肝不全の状態から完全に脱している状況ではなく、この時期は肝機能障害と感染症との闘いになった。
連日の発熱、身の置き所がない倦怠感、食欲不振、咳。
治療を受けているという実感がわかないぐらい体が痛めつけられていた。

2007年4月11日水曜日

一夜明けて

昨日は腹腔鏡下肝生検
腹部に針を刺してガスを入れる(個人差もあるらしいけれど3~4リットル)
内視鏡を挿入するためにおへそ周辺を小切開してチューブを挿入(トロッカーというらしい)
内視鏡で肝臓の様子を観察して、数枚の写真撮影
肝臓の組織を採取するための管をおへその右下あたりから挿入してちょっと採る
内視鏡で出血がないかを確認して内視鏡を抜いて穴ぼこを縫合

とまぁこんな手順で検査そのものは20分ぐらい。
検査前に点滴や注射、消毒などの事前処置があるので病室を出て戻るまでおおよそ1時間
麻酔注射が痛いと聞いていたけれど、それほどでもなく
針を差し込むときの鈍痛のほうがつらかったな。

検査日の夜から麻酔が切れて縫合部がとにかく痛い
ほとん眠れないまま朝を向かえ、こうしてブログを更新している間も
鈍痛と刺激が強めの激痛の繰り返し。
食欲もわかないし、案外大変な検査。

一般病棟へ移ってから、点滴と定期的に行われる採血が延々と続く。
もしかしてこのまま出ることはできないんじゃないか?とまで思ってしまう。
入院後の絶食も12日目を超えるあたりから、寝るたびに食べ物の夢を見るようになった。
見舞いにくる身内がとにかく食べ物のことばかりを大声で話していたのも影響していたと思う。
そろそろ絶食に対する精神的な限界かと思ったころに、主治医から胃カメラの検査を告げられる。
ステロイド剤を大量に投与されていたので、食道や胃への影響がないかを確かめて経口による栄養摂取に切り替えるという方針説明があった。
週明けに胃カメラを飲み、異常がなかったことから当日の昼食から流動食300ccの食事が始まった。
流動食といっても、要するに液体。
おかゆの上澄み上のもの、コーンスープを更に裏ごししたもの、野菜ジュース
久々の食事の感想は、うまかった。 この一言。

2007年4月10日火曜日

腹腔鏡

今日は午後から腹腔鏡検査があります。
局所麻酔をした上で、お腹に針と内視鏡を入れて
肝臓の組織採取と肝臓を内視鏡で観察するという検査です。
怖がりな私は、昨夜からあまり眠れず朝を迎えました。
麻酔がかかってしまうと痛みはないという先生の言葉は理解できていますが
手術室で行うということでかなりびびってます。
検査から明日朝までは安静になってしまうので午後から半日は
ある意味ICUを出たころに逆戻りです(動けないということはICUにいたころかな)

今日も春めいたいい天気のようですが
精神的な余裕がありません。。。


個室に移ってから、少しずつ体が思ったように動くようになってきた。
それでも、ほんの数分(2分くらいか)も立っているとふらついてしまう状態は改善できないまま。
やはり体を横たえている時間が長い。
せいぜいベッドを起こして座っている状態。
目線の先には首のカテーテルにつながっている点滴が4本、
ちょっと動くにも管が絡んで邪魔をする。
首を振ることさえ億劫な日が続いていた。
加えて血中酸素量が十分でないとのことで鼻には酸素用のチューブ。
思うように動けないことと、点滴のチューブ類、この状態が永久に続くんじゃないだろうか
などとありえない不安感。
見舞いに駆けつけてくれた方々の何気ない一言がふと自分を落ち込ませてしまう。
元気付けようとの配慮とは思うが、病室で大声ではしゃぐ縁者の行為が無神経に感じてしまう。
とうとう精神的な限界がきた。
だれにも会いたくない。 病院側に面会制限の申し出をして妻と実父、実母、息子以外
だれとも会わない状態にしてもらう。
ここからしばらく、起きたくもなく外の景色を見たいとも思わず
とにかく無気力な日が続くことになる。

2007年4月9日月曜日

すっかり春

院内から出ることができないので窓から見える景色から感じる以外ないけれど
景色がすっかり春って感じがします。
病室の窓からは山が見えるんだけれど、早朝やお昼前の山際の様子が
春めいた感じで、心が和みます。
病室の暖房もほとんど必要なくなっているので、気温も上がっているのがわかるし。
入院したころはまだ寒さもあったのに、暖かくて過ごしやすい季節になったんだなぁ。
この1ヶ月半で体重が12キロ以上落ちて、今では標準体重
入院した時には冬服だったから、どっちにしても退院の時には着れないけれど
サイズそのものが合わなくなったので、全部買い替え

ICUから一般病棟へ移った。
個室で、体が動くようになるまで妻が泊り込みで付き添ってくれることになった。
移動してさっそく体重測定をすることになったが、ICUの時とは異なる挫折感を味わうことになる。
立てない。 自分の意思ではまったく体が動かない。 立つことすらできず
二人がかりで支えてもらって体を起こすことができたが、立っていられるのはほんの一瞬。
改めて自分の体を眺めてやせ細っていることに気がつく。
心臓も寝たきりになれてしまっていて、少し体を起こしているだけでもふらふらしてしまう。
トイレ付の個室だが、トイレまで行くことすらできず簡易トイレを持ち込んでもらって
ベッド脇で用を足すことになった。
ICUを出た際に導尿管を抜いたが、これが結構痛い。
尿を出すたびに強烈な痛みが走って、数日この痛みに耐えながら過ごすことになる。
ICUを出ても、体のつらさは残っていて肉体的なダメージと精神的なダメージの回復に相当時間がかかるような気がした。
首のカテーテルにつながれた点滴は4本。
24時間絶えることなく、ポンプで一定量が送り込まれる。
今になって思うに、ICUを出ることができたというだけでこの時点ではまだまだ
重症患者であったと思う。
自分ひとりでは立てない、用を足せない、起き上がることすらできない、寝返りをうつのも一苦労...
なんでもないことが何一つできない自分に苛立ち、悔しい思いを何度したことか。

2007年4月8日日曜日

病院もIT化


この病院はIT化が進んでいると思う。
入院患者は全員タグをつけていて(上の写真)バーコード、氏名、生年月日、血液型が表示されている。
点滴や検査のときにはかならずリーダでバーコードを読み込み、薬剤に印刷されたバーコードとの照合をとっている。
入院している身にはすごく安心なシステム。
このタグさえつけておけば、院内のどこかで気分が悪くなって倒れたって、大丈夫。照合システムがあるので意識がなくても大丈夫というもの。
当然カルテは電子カルテ。 薬の副作用で皮膚科にかかった際も共有化された電子カルテで皮膚科の先生が投与されている薬、わたしの状況などを詳細に把握できて的確な診察ができるしくみ。
入院に限らず、外来も電子化が進んでいて診察カードを受付リーダに挿入して来院の目的を選択すると、レシピが印刷されて目的の診療科へカードとともに持参、あとは電子カルテでという具合。
先生も看護師さんもパソコンできないとついていけない。
ここでいうパソコンできるってのは、Excel、Wordというレベルじゃなくて的確かつ迅速な文字入力ができること、必要な情報を取り出すための操作ができることというレベルなので街のパソコンスクールでパソコン習いましたというのでは無理。 リテラシーができているかどうかが問われる。
できない人? さぁ。。。ここでは採用されないんじゃないの?

ICUで迎えた6日目
意思もはっきりとして、痛みなども自分の意思で伝えることができるようになっていた。
体内にアンモニアが蓄積しないように、強力な下剤を一日3回飲まされるのだが、これが結構辛い。
自分の意思に無関係に出てしまう。
もちろん体は動かせないのでオムツの中にということになる。
その都度、ナースコールで後始末をお願いすることになる。
40を過ぎた自分にとってなんとも惨めで情けない姿。 毎回涙が止まらなかった。
人口透析をはずした状態でしばらく様子見をしていたのだが、状態が安定しているので
週末にはICUを出ようという話が主治医から出た。
あと2~3日で、ここから出ることができる。
3月7日、ICU7日目の朝、主治医から個室の用意ができたから今日出ましょうと話があった。
いきなりで驚いたが、とにかくうれしい。
病院から妻に連絡をしてもらって、午後から病棟へ移ることになった。
ICUを出る前に簡単な質問があった。
「今日は何日かわかる?」
答えられない、自分の感覚では3月5日か4日ぐらいだと答えると
「ICU症候群だね」と言われる。
続いて、繰り上がりのある足し算と繰り下がりのある引き算を質問される。
これは問題なく即答。
ほどなく、妻が到着して、合わせるように病棟からの迎えが来る。
ベッドを移して移動。
ICUを出る。 いくつも扉を通過して病院の廊下にでた。
照明がやさしい、壁もやさしい、空気がやさしい。
生還したと初めて実感した。

2007年4月7日土曜日

外はいいお天気

入院している8階の窓からはのどかな風景が見えます。
今日は晴天、春のお天気ですね。
この病院は周辺に高い建造物がなく、最上階8階からの見晴らしは闘病中の心を癒してくれるときもあります。
もっとも、最初のころは外の風景を見るのもいやでしたけれどね。
今日はこれといったイベント(治療や検査)もなく、あとでシャワーでも浴びる予定です。
おっと、毎日の点滴は忘れちゃいけませんがね。

ICUで意識を失ってから、自分自身で意識が戻ったと記憶しているのは3月4日の夕方。
今思い出してもはっきりとしたものではないけれど、眠りから覚めるような感覚のあと、涙いっぱいの妻の顔が目に映った。 いろいろな話をしたと思うけれど断片的にしか思い出せない。
意識を失って人工呼吸器が取り付けられたらしい。 家族が呼ばれ非常に危険な状態であること。
最悪の場合も想定せざるを得ないことなども医師から話があったらしい。
最悪のケースに至らないまでも意識が戻らないこともありうるとも。。。
妻の手記を見せてもらったが、4月2日には意識が戻っていたようで、弟や妻とも話をしたらしい。
肝性脳症で私はまったく覚えていないし、話の内容もかみ合っていない部分が多かったようだ。
自分自身ではまったく覚えていないが、起き上がろうとしてベッドに拘束されたりもしたようだ。
(拘束に関しては事前に説明を受けた上、同意書にサインしている)
肝性脳症=肝機能不全で血中に大量のアンモニアが蓄積され脳に運ばれることで起きる脳障害。
症状によって5段階に分類されていて、私の場合は昏睡度4
具体的には昏睡状態、痛みには反応して、払いのけようとしたり顔をしかめたりする状態。
かろうじて戻ってこれそうなところといった状態。
明確に自分の記憶として残っているのはやはり3月5日からだと思う。
4日の時点では肝性脳症の影響が残っていた可能性はある。
後に主治医に聞いたところ、ICUに入る前にすでに脳症の症状が出ていたということなので、
今、考えても一刻の猶予もなかったということになる。

2007年4月6日金曜日

肝臓病食


入院しているこの病院の食事は病人向けにしては豪華だと思う。
昨日は花見御膳なる名称のおかずと助六寿司にお吸い物、あられの小袋付

携帯で撮ったけれど、携帯ですら支えられないぐらいに筋力が落ちてる。 おかげで手ぶれがひどくてピンが合ってない。
結局きれいな写真にならなかったけれど雰囲気だけでもと。
お豆腐とナスの味噌田楽、巾着煮、きゅうりとにんじんのおひたし、いちご、花見団子、栗きんとん野菜サラダ。
こんなにいろいろ食べていいの?ってぐらいはいってる。
昨日だけじゃなくて、普通にお刺身がでたり、ラーメンだったり。
基本的には脂肪と塩分の制限があるようで、味は薄めで肉類はお目にかかったことがない。
長期間絶食だったから、薄味は体によくなじんで苦にならない。
冷たいものは冷たいまま、温かいものは温かいままでてくるのがここの特徴。
煮物やお汁、ご飯は温かいしデザートやお刺身、サラダは冷たい。
入院の身にはありがたい配慮。

さて、ICUに入ったまではよかったがベッド脇には手術衣の先生といろいろな器具類
動揺の上乗せ状態になってしまって、なかなかベッドにあがれない。
なんとかベッドにあがると即時処置が始まった。
局所麻酔で大腿部と首にカテーテルが挿入される。
痛かったなぁ。
血液中のアンモニアや肝臓が分解できなくなった不純物を人工透析できれいにして返すと同時に
血小板が異常に減少しているので血小板輸血、etc
拒絶反応が起きたのか、肝不全によるものなのかはわからないけれど
体中に蕁麻疹状のものがでてきて、ひどい寒さにみまわれた。
ついていた妻に寒いと伝えると、看護師さんの血圧50という叫び声が聞こえた
モニタのせわしない警告音と酸素マスクが顔に近づくのを最後に意識がなくなった。
2月28日半日たらずの出来事。

2007年4月5日木曜日

風邪ひてます

入院生活37日目
ここ数日風邪で苦しんでます。
病院ってとこは、あらゆる病原菌が集会開いているようなもんだから
発熱・頭痛・鼻づまり
発熱はおさまりつつあって、なんとかなりそうですね。

さて、この病院へ搬送されるいきさつを振り返っていこうかと
(つらい気持ちもありつつ)
2月26日(月)朝から調子が悪く吐き気がしていたんだけれど
とうとう仕事場で嘔吐
夜になってものすごい悪寒を感じながら帰宅 体温39.7度
27日かかりつけの病院へ行って点滴とインフルエンザの薬をもらう
一向に熱が下がる気配がなく、夜中になると1時間おきに嘔吐
28日再びかかりつけ医をたずねると、一見して異常に気がつかれた様子
尿検査と血液検査が行われとんでもない状況が判明。
GOT4600 GPT6800 
すぐに大きな病院へ搬送になった。
28日午前中に救急外来へ運び込まれ、採血。
時間ごとに悪い結果しか出てこない様子
腹部エコーとCTをとって、先生とお話
「劇症肝炎」です。
肝機能が健康な人の20%以下、つまり肝不全(肝臓が機能していない状態)ですと
状況は非常に悪く、時間稼ぎをしているヒマはない。
すぐにICUへ入ってくれと言われる。
ここまで、半日足らず
自分にとって人生初めて迎える最大の危機とは思ってもみなかった。
(---つづく)

さて病室の窓からは雲ひとつない青空
外はいいお天気です。
私は院内フリーまで許可もらっていますが、外出はまだまだ。
窓越しに外の風景を見ながら退院のころにはもっと陽気がいいんだろうな
なんて考えて過ごす一日

2007年4月4日水曜日

闘病中だけど

何気にgoogleでブログを見つけて作ってみました。
さて、劇症肝炎ってなんぞや?という方もいらしゃるかもしれないので
簡単に説明を
肝炎のひどいやつ・・・
的確な表現じゃないです。 ゴメンナサイ
劇症肝炎とは急速に肝不全症状に陥る肝炎で、意識障害(肝性脳症)を伴う病気です。
肝不全つまり肝臓が機能しなくなる病気で、ついでにアンモニアが分解できずに
脳に達して意識障害(わけのわからんことを言い出したり、昏睡状態になること)を伴います。
国の難病にも指定されています。

で、自分はどうだったのかといいますと
肝機能が健康な人の20%しか機能していない状態でした。
一刻の猶予もない状況で治療が始まったわけですが、
そのあたりは追々書きます。

とにかく、無事肝不全の状態を脱して
こうしてブログを書いています。
今は病室です。
この病院では個室の場合、インターネットへの接続が可能になっています。
(もちろん主治医の許可が必要)

劇症肝炎は恐ろしい病気ですが、的確な診断と治療で救われる可能性が十分あります。
全例救命を実現し、劇症肝炎撲滅に向けて研究を始めている大学病院もあります。
救われたこの命を大切にしようと思っています。
とにもかくにも、現在闘い中です。